おかあちゃんの怒涛の日々

動物大好き! 植物大好き! 猫大好き! 早く人間好きになりた~い!

これって、「I in YOU」?

<おかあちゃんの怒涛の日々>

パートナーの息子君と一緒に暮らしています。
法律的にも生物学的にも彼のおかあちゃんではありませんが、生活環境的にはおかあちゃんです。
いいこともあればムカつくこともありますが、
精神的にもおかあちゃんになれるように、日々励んでいます。

 

先週のある夜

 

パートナーと息子君がディナーを作るというので
失礼して寝室でうたたを寝していました。

起きたときに聞こえて来たのは
台所からの食器が触れ合う音や何かを刻む音。

 

誰かが家にいてくれる気配
誰かが私に食べさせたいと食事を作っている気配。

 

この気配が、自分の子供の頃の記憶を呼び出しました。
私が子供だった頃に、若かった母親が台所に立つ姿。
記憶の中にある無条件で「安心」できる感覚。

 

不思議な体験は、次に自分が台所に立った時にやってきました。
あの気配が私の中によみがえってきたのです。
自分は食事を作る側なのに、あの無条件で「安心」できる感覚がやって来たのです。

少し意識を広げると、この感じを息子君が感じているような気がしてきました。

 

そんなことに気が付いてしまうと、
「何で私ばかりが台所で食事作りや、洗い物をして、みんなはテレビを見ているのよ~」
なぁんて気持ちにはなれないものです。

新しい朝には、新しい関係を始める

またまた怒り爆発>
 
 
 日曜日の夕方、
 
息子君は前週金曜まで使ったランチボックスをキッチンに持ってきた。
「ランチボックス洗った方がいいよ」と私が行ったからである。
 「置いておけば洗うよ」という私の言葉を無視して水道の水を流し始めた。
「水を張ってから、洗剤を・・・」と言う間もなく
あれよあれよ、という間に、本体と蓋に通常量の200倍か300倍くらいの洗剤を
『それぞれ』押し出した・・・
     因みに、私が使う通常量とは、1回分0.8ccくらいで、
    それを2リットル程度の水に溶かして、
    3人の食事1回分の食器とフォークとナイフ、調理器具などを全て洗うのだ。
     我が家では、おおよそオージー流に食器を洗うから、
    コップ以外は水で濯ぐことなく、シンクに溜めた洗剤水を使って汚れを洗い流して終了。
    放置して乾燥か、布巾で拭いて所定の場所に戻している。
    多少、汚れが残るが、ここはオーストラリア。
    この国では水が貴重だし、些末なことは気にしない。
 あまりのことに、めまいがする程に動揺した。
せめて、出されてしまった洗剤を水に溶かし、他の洗い物に使おうと、気を取り直し、
「水を張って、そこに漬けておいてね」と、
やっとのことで言い残して、その場を立ち去った。
 キッチンに戻ると、
 
彼は、素直にランチボックスをひどく濃い濃度の洗剤水に漬けて立ち去っていた・・・
 ぬるぬるとする洗剤水に手を入れて、他の食器類を洗うたびに、手から怒りが浸透してくる。
 どうやっても怒り。何をしても怒り。・・・、怒り・・・。
 どうにもならないので、そのまま、その心の状態を、受け入れるに任せた。
 パートナーに「環境や手肌や体のために洗剤はごく少量にしようね」と彼に伝えてくれとお願いし、
 
その通りにパートナーが息子君に伝えたところ、
息子君は、自分のランチボックスだけだから問題ない、と言い、取り合わなかった。
息子君の行動をそのまま受け入れるならば・・・
彼が、私の話を聞きたくないのであれば・・・
彼が、私とは仲良くしたくないのであれば・・・
自分が思うようにして、放っておいて欲しいのであれば・・・
 私は、そう考えた。
そう考えた末に、その夜は、息子君とはそれ以上関わらず、
自分のことをしよう、と、早くに寝室へと向かった。
 
ベッドの上で大好きな本を読み、幸せな気分でうとうとしてきた。
そして結局、その夜はそのまま寝てしまった。
 
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ベッドの上で読んだ大好きな本はこちら💖
💖でらすき~💖
くるねこ

くるねこ

 

 

 

<この頃、再開したこと>

この頃、再開したこと
・ピアノのレッスン(自主練!)
・卓球の練習
・写真の投稿

 

ピアノと書いたけど、電子ピアノだ。
息子君とパートナーと私のための電子ピアノ。
息子君が来たから、中古を近所から譲り受けた電子ピアノ。
なんとも有難いことです。

 

で、私は、殆ど毎日その「ピアノ」と数時間向かい合っている。

 

幼稚園の頃から初めて、小学校では6年間ピアノを習わせてもらった。

 

母が言うには、
『中学校に入って、「もっといいピアノの先生につきたい」と言われたら、もっといい先生につかせたのだ』と。
そんなことを後で言われても・・・
多分、高校生の時に言われたのだ。

 

中学校では、陸上部に入った。
管弦楽部と迷ったのだけれども、陸上部に入った。
そして、練習や友達と遊ぶのに一生懸命で、自由に偶にピアノを弾くくらいだった。

 

そして、高校生で、またピアノの先生についた。
もし、音大に行きたい、と、あの時に思ったのであれば、きっと音大に行ったのだ。と、思う。
いや、「行ったかもしれない」、くらいの可能性かなぁ~。

 

何故、音大に行きたいとは思わなかったのか?
それは「なるのであればピアニスト」で、「ピアノの先生」にはなりたくなかった。
そして、何と言っても私の指がすごく短かった。

 

もし、私の指が長かったら、迷うことなく音大に行って
『ピアニスト』を目指したのだ・・・
なぁんて、すばらしく勝手に今になって妄想している(笑)

 

とにもかくにも、ピアノの先生に習い始めて数年後、
クラシックの曲も沢山聴かされていたけど、
初めて自分から弾きたいと思った曲が
エリーゼのために」で、
レコードを聴いては、ピアノでたどたどしく音を拾った。

 

それを見た母は、私に「エリーゼのために」のピースを買ってくれた。
というか、私が天才だったら、
レコードの音を聞いて、それだけで完璧にピアノで再生していたのだろう・・・

 

何十年も使っていた楽譜は、残念なことに、
前夫との別居し、私の物を全て処分した際に
全ての楽譜と一緒に間違って捨てられてしまった・・・。

 

でも、その茶色のパリパリになったセロテープであちこち修理された
その楽譜を、今でも鮮明に思い出すことができる。
それを失ってしまったことは残念で、ちくっと心が痛い。
でも、父母が私に与えたかった「ピアノを弾くこと」は私の中に残った。

 

今でも電子ピアノを弾くたびに、
小学校の日曜日のお昼にピアノのレッスンからの帰り道、
父の運転する車で家に向かっているときの風景が、
車の中で流れていたラジオの音が
車外から差し込んでいたオレンジ色の太陽の光と共に、思いだされてくる。

 

幸せな日々だったなぁ~。
あんなに幸せな日々があったのだから、
これからも、ピアノを弾くたびに、私は最高に幸せを感じるのだ。
なんて幸せなんだろう!

父母に感謝である。

パートナーにも感謝である。息子君にも感謝である。

 

次回、日本に帰ったら父母にピアノを弾いてあげて
「ありがとう!」を言おう!と思う。(よ~く練習してからだけどね~ 笑)

<なんちゃってまま母チャレンジ!> 8日目 どうでもいっか・・・

<なんちゃってまま母チャレンジ!>

8日目 2019年2月8日

 

【どうでもいっか・・・】

 

朝のランニングのときに気が付いた。

息子には、どうでもいいのだ。

だから、私も「どうでもいい」という同じスタンスで

いるのはどうだ?

 

彼にしてみれば、

父の元に来てみたら、知らないおばちゃんがいた。

知らないおばちゃんは、身の回りの世話を(勝手に)している。

 

振り返れば、

私が子供のころに、親戚の家に泊まりに行ったとき、

衣服を洗ってもらったとしても、それは当たり前だった。

ご飯を食べされてもらっても、当たり前だった。

 

しかも、

それに対する感謝もお礼も未だにしていない・・・

 

感謝するということを知らない息子に感謝だ。

私自身の不義理を思い出させてくれた。

 

『お世話をさせていただいている』という感謝の気持ちが

吹っ飛んでいたことにも気が付いた・・・

 

今は、感謝のできない若者だが

家の中に感謝を言葉にする人がいることの彼への影響は大きい。

心から感謝して、感謝の言葉を口にしよう。

 

<なんちゃってまま母チャレンジ!>7日目にして全面放棄・・・

<なんちゃってまま母チャレンジ!>

7日目 2019年2月7日

 

【(一時的?)全面放棄】

 

どうにか息子君と仲良くなりたくて、日々挑戦。

 

が、今日は、何もかもが裏目に出ている気がする。

パートナーともうまくいかない感じがしてきた。

息子のことを彼に相談したら、その内容を受けて、

彼は、息子にとうとうとお説教をした。

 

彼がそうしたことで、息子は、私に言葉を発する前に

父親の顔色を伺うようになった。

 

パートナーの態度も息子の態度もムカつく。

彼らの弾む会話で、心が乱されるのも飽き飽きした。

 

ほとほと疲れたので、

チャレンジは、一旦、ぽいっ!っと投げ捨てることにした💖

「やってられるか!!!」と、全面放棄!

 

どうにでもすればぁ~、と、どうでもよくなった。

 

リラックスして自分を解き放て!

【図書館での英会話クラスに出てみた】

 
【結論】言いたいことは、すべからく言葉にすべし!
 
    もう少しいえば、
    リラックスして自分を解き放て!
 
 
昨日は、マンツーマンでの日本語の先生をやった。
マンツーマンだから、相手の理解に応じて指導をしていく。
これが楽しい!
1時間のクラスだったので、多少疲れた。
最後の10分くらいになると、笑顔が強張る。
終了後は、目が死んでいると自覚するくらいに疲れた。
 
さて、今日は、日本語の先生も英語が話せないと
日本語についての説明がもどかしいと、思い立ち、
図書館での無料英会話クラスに出かけた。
 
 
私の他には、日本人が1人とイラン人とパキスタン人。
先生は、図書館司書。
 
45分間のフリーカンバセーション。
何かと気を使う私がそこにはいた。
 
出しゃばり過ぎないように、
会話を独占しないように、
他の生徒が浮かないように、
先生にほほえみ、他の生徒に微笑み、
多分、もう1人の日本人も同じように気を回していたに違いない、と思えてしまったのだが、これ
ついては事実無根。
 
 
終わってからも、図書館で散らばる、クラスメイト達に
何となく気を使っていた。
何となくだから、別に何するではなく、兎に角気を使っていた。
 
 
でもでもでもだ!もう疲れたので、
こうゆう意味のない気づかいは止めにしたい。
根本にあるには、『自分をよく見せたい』『自分自身が他人によくしたい』
のようなものであると思うのだが、兎に角、疲れた。
 
凡そ、いつもそうなのであるが、
複数の人たちの中に存在した時には、
交通整理係になったような気持ちになってしまう。
 
でも、不思議なことに、
日本にいるときには、
或いは、日本人だけがその場にいるときには、意図的に交通整理係にならなくて、
リラックスをして
その場の取り仕切りは、誰か他の人に任せてしまうことができるようになった
のだけど。
その英会話クラスでは、リーダーのような気持ちになってしまった。
 
それは、
英会話スクールや英会話クラスという、イミテーション・ソサイエティ、
英会話が完ぺきではない、みんなが習得中!という前提の上に成り立つ、甘い空間だからだ・・・。
 
今、家に帰って来て、疲労困憊を感じながら、
振り返ると、自分がシンプルではなかったことに気が付く。
自我に囚われて、複雑で姑息で空回りしていた。
そんなのは脱ぎ捨てて、シンプルに
『自分がその瞬間を目一杯楽しむ!』
で、いいんじゃなかろうか。。。と、気が付いた。
 
『正しい答えは自分の中にある』ということはだ、
自分がしたいようにすればいい、ということだ。
 
今日の図書館での私は、めくるめく自我に振り回され、
他人の目や他人の存在を気にし過ぎ、その瞬間を純粋に楽しんではいなかったのではないか?
と、疑問に思うので、
自分にそう問いかけ、振り返ってみよう。
 
すると、実は、そうでもない。楽しんでいた。
 
ある時、「あなたの夢の職業は何?」と図書館司書が話題をみんなに送り出した。
 
順番に答えが話されていく中、密かに私は話すのを楽しみにしていた。
 
が、しかしだ。それなのに、ああ、それなのに・・・
私の番は回ってこなかった。
 
 
私の前にいた日本人が答えた後に、図書館司書が、話題を変えたのだ。
 
 
今思うと、むかむかする。
その場で、私の夢も言わせてくれ!と言うべきであった。
話題を変えた図書館司書にも、
「私の夢も聞いて!」と言わなかった私にも、腹が立つし、失望だ、残念で仕方がない・・・
 
どちらかというと、
他者に比べて、私の口数はかなり多かったので、「仕方がないか」と、そのときの私は思った。
 
しかし、疲労困憊にもかかわらず、元気が出てしまうほどに
言えなかったことを「悔しい!」と思ってしまう自分がいる。
(なんだか、元気が出たからいいような気もするが (笑))
 
しかしながら、言いたいことは、やはり言うべきであったのだ。
 
【結論】言いたいことは、すべからく言葉にすべし!
 
もっと言えば、
リラックスして自分を解き放て!   なのだ!
 
 
*************************
と、私が自分自身のちっぽけなことを語っている一方で、
世の中には、こ~んな素晴らしいことをしている人もいる!
 
ということで、
麻痺で自分の体の中に閉じ込められてしまったアーチストを
解き放ったエンジニアのスピーチをお聞きください!
*************************
  

<なんちゃってまま母チャレンジ!> はじめました!

【なんちゃってまま母チャレンジ!】
 
始めま~す!
っていうか、はじめました。
 
息子(パートナーの息子)と、どうにかして、
いい感じの間柄になりたいと思い行動続けて、早2年。
今回の共同生活開始からは、早20日間。
 
 新しく始める生活にお互いにわくわくしているから
何となく互いに受容できていた初期の段階を経て、
学校も始まらないので、2人で街を歩いて
マクドナルドのシェイクを飲んだり、
メキシカンタコスを食べて、
ゲームの話をしたり、卓球をして過ごした楽しい段階。
所謂、ハネムー💗
 
 そして、学校が始まって、
互いに「我が家」で出来る限りに自由に気ままに自分本位に
暮らしたいという我が出てきたこの頃。
彼は、ティーンエイジャーの難しさの極みを発揮し、
私は、(多分)まま母特有の何かを極めきって、
余すことなく醸し出し切っている(可能性が極めて大)。
 
結果として、
『最高にしあわせ~~!』
って思えるときや、思えることが、どこかに消えてしまった。
 
昨日気付いたのは、

が、ティーンエイジャーと同じ土俵でパワーゲームをしているってこと。
お互いが鏡となり、険悪なムードをお互いに映し合って、助長し合っているっていうこと。
 
 
そんな状況を脱するために採用した、昨日の作戦は、
<「しゃべりまくるから、私を知って!」作戦!>
 
しゃべりにしゃべりまくって、私を理解してもらう、受容してもらう、っていう作戦。
(今振り返れば、なんで、こうゆう作戦立てるかなぁ、なのだが、この作戦を立てるに至った経緯については、こちらの記事をどうぞ。)
 
 昨日の夕方から、今朝の朝食時、彼が学校へと家を出るまでの間に実行。
(第1日:2019年2月4日、第2日:2019年2月5日)
 
【実行内容】
常に朗らかな気持ちを維持しつつ、なるべく言葉を出した。
昨日の夕方は、彼らの反応はとても良好なものであった。
息子ともぽつりぽつりと言葉が交わせた。
 
彼は、寝起きが最悪に悪い。
そこにもってきて、私は、言葉を出しまくった。
声をかけまくった。
いつも持って行く水筒に、彼がやるように水を入れてあげた。→〇(彼に受容された)
彼の靴を、彼が靴下をはいているソファの近くに持って行ってあげた。→(彼は、嫌がって何か言い、戸口近くに靴を戻した)
 
 
【結果】
今朝は、彼は、今まで見たこともないような不満げな感じで家を出て行った。
 
【考察】
(1)彼に知ってもらう、(2)彼に興味を持っていることを表示、(3)関わることを実行
上記3項目を目的に実行したけれども、
寝起きでボーっとしているときに、弾丸トークは、不機嫌をあおるだけである。
静かに遠目に見守るという姿勢も混ぜながら、
相手の表情や動きをそれとなく観察しながら行動をした方がよい。
 
無理やりに、押し付ける、引き出す、というのは拷問するのに等しい。
 
相手が「うれしい」「幸せ」と思うこと、
相手が将来に「うれしい」「聞いておいてよかった」と思えるようなこと
を話すことができれば、最高!
でも、何を話してもいいけど、相手の状態を理解しようという気持ちが欠けるのはNG!最悪!
 
 
【総括】
がさつにじゃがじゃが喋ればいいってもんじゃない!
 
今日は、朝から私自身の気分が最高によかった。
だからといって、
他者も同じように最高に気分がいいとは限らないのだ・・・。
(彼らのミラーニューロンは、ときに朝は反応しない・・・。)
 
めげるな、自分!
かならず通じ会える日が来るから!