これって、「I in YOU」?
<おかあちゃんの怒涛の日々>
パートナーの息子君と一緒に暮らしています。
法律的にも生物学的にも彼のおかあちゃんではありませんが、生活環境的にはおかあちゃんです。 いいこともあればムカつくこともありますが、
精神的にもおかあちゃんになれるように、日々励んでいます。
先週のある夜
パートナーと息子君がディナーを作るというので
失礼して寝室でうたたを寝していました。
起きたときに聞こえて来たのは
台所からの食器が触れ合う音や何かを刻む音。
誰かが家にいてくれる気配
誰かが私に食べさせたいと食事を作っている気配。
この気配が、自分の子供の頃の記憶を呼び出しました。
私が子供だった頃に、若かった母親が台所に立つ姿。
記憶の中にある無条件で「安心」できる感覚。
不思議な体験は、次に自分が台所に立った時にやってきました。
あの気配が私の中によみがえってきたのです。
自分は食事を作る側なのに、あの無条件で「安心」できる感覚がやって来たのです。
少し意識を広げると、この感じを息子君が感じているような気がしてきました。
そんなことに気が付いてしまうと、
「何で私ばかりが台所で食事作りや、洗い物をして、みんなはテレビを見ているのよ~」
なぁんて気持ちにはなれないものです。
新しい朝には、新しい関係を始める
「ランチボックス洗った方がいいよ」と私が行ったからである。
「水を張ってから、洗剤を・・・」と言う間もなく
あれよあれよ、という間に、本体と蓋に通常量の200倍か300倍くらいの洗剤を
3人の食事1回分の食器とフォークとナイフ、調理器具などを全て洗うのだ。
放置して乾燥か、布巾で拭いて所定の場所に戻している。
この国では水が貴重だし、些末なことは気にしない。
「水を張って、そこに漬けておいてね」と、
やっとのことで言い残して、その場を立ち去った。
息子君は、自分のランチボックスだけだから問題ない、と言い、取り合わなかった。
彼が、私の話を聞きたくないのであれば・・・
彼が、私とは仲良くしたくないのであれば・・・
自分が思うようにして、放っておいて欲しいのであれば・・・
自分のことをしよう、と、早くに寝室へと向かった。
<この頃、再開したこと>
この頃、再開したこと
・ピアノのレッスン(自主練!)
・卓球の練習
・写真の投稿
ピアノと書いたけど、電子ピアノだ。
息子君とパートナーと私のための電子ピアノ。
息子君が来たから、中古を近所から譲り受けた電子ピアノ。
なんとも有難いことです。
で、私は、殆ど毎日その「ピアノ」と数時間向かい合っている。
幼稚園の頃から初めて、小学校では6年間ピアノを習わせてもらった。
母が言うには、
『中学校に入って、「もっといいピアノの先生につきたい」と言われたら、もっといい先生につかせたのだ』と。
そんなことを後で言われても・・・
多分、高校生の時に言われたのだ。
中学校では、陸上部に入った。
管弦楽部と迷ったのだけれども、陸上部に入った。
そして、練習や友達と遊ぶのに一生懸命で、自由に偶にピアノを弾くくらいだった。
そして、高校生で、またピアノの先生についた。
もし、音大に行きたい、と、あの時に思ったのであれば、きっと音大に行ったのだ。と、思う。
いや、「行ったかもしれない」、くらいの可能性かなぁ~。
何故、音大に行きたいとは思わなかったのか?
それは「なるのであればピアニスト」で、「ピアノの先生」にはなりたくなかった。
そして、何と言っても私の指がすごく短かった。
もし、私の指が長かったら、迷うことなく音大に行って
『ピアニスト』を目指したのだ・・・
なぁんて、すばらしく勝手に今になって妄想している(笑)
とにもかくにも、ピアノの先生に習い始めて数年後、
クラシックの曲も沢山聴かされていたけど、
初めて自分から弾きたいと思った曲が
「エリーゼのために」で、
レコードを聴いては、ピアノでたどたどしく音を拾った。
それを見た母は、私に「エリーゼのために」のピースを買ってくれた。
というか、私が天才だったら、
レコードの音を聞いて、それだけで完璧にピアノで再生していたのだろう・・・
何十年も使っていた楽譜は、残念なことに、
前夫との別居し、私の物を全て処分した際に
全ての楽譜と一緒に間違って捨てられてしまった・・・。
でも、その茶色のパリパリになったセロテープであちこち修理された
その楽譜を、今でも鮮明に思い出すことができる。
それを失ってしまったことは残念で、ちくっと心が痛い。
でも、父母が私に与えたかった「ピアノを弾くこと」は私の中に残った。
今でも電子ピアノを弾くたびに、
小学校の日曜日のお昼にピアノのレッスンからの帰り道、
父の運転する車で家に向かっているときの風景が、
車の中で流れていたラジオの音が
車外から差し込んでいたオレンジ色の太陽の光と共に、思いだされてくる。
幸せな日々だったなぁ~。
あんなに幸せな日々があったのだから、
これからも、ピアノを弾くたびに、私は最高に幸せを感じるのだ。
なんて幸せなんだろう!
父母に感謝である。
パートナーにも感謝である。息子君にも感謝である。
次回、日本に帰ったら父母にピアノを弾いてあげて
「ありがとう!」を言おう!と思う。(よ~く練習してからだけどね~ 笑)
<なんちゃってまま母チャレンジ!> 8日目 どうでもいっか・・・
<なんちゃってまま母チャレンジ!>
8日目 2019年2月8日
【どうでもいっか・・・】
朝のランニングのときに気が付いた。
息子には、どうでもいいのだ。
だから、私も「どうでもいい」という同じスタンスで
いるのはどうだ?
彼にしてみれば、
父の元に来てみたら、知らないおばちゃんがいた。
知らないおばちゃんは、身の回りの世話を(勝手に)している。
振り返れば、
私が子供のころに、親戚の家に泊まりに行ったとき、
衣服を洗ってもらったとしても、それは当たり前だった。
ご飯を食べされてもらっても、当たり前だった。
しかも、
それに対する感謝もお礼も未だにしていない・・・
感謝するということを知らない息子に感謝だ。
私自身の不義理を思い出させてくれた。
『お世話をさせていただいている』という感謝の気持ちが
吹っ飛んでいたことにも気が付いた・・・
今は、感謝のできない若者だが
家の中に感謝を言葉にする人がいることの彼への影響は大きい。
心から感謝して、感謝の言葉を口にしよう。
<なんちゃってまま母チャレンジ!>7日目にして全面放棄・・・
<なんちゃってまま母チャレンジ!>
7日目 2019年2月7日
【(一時的?)全面放棄】
どうにか息子君と仲良くなりたくて、日々挑戦。
が、今日は、何もかもが裏目に出ている気がする。
パートナーともうまくいかない感じがしてきた。
息子のことを彼に相談したら、その内容を受けて、
彼は、息子にとうとうとお説教をした。
彼がそうしたことで、息子は、私に言葉を発する前に
父親の顔色を伺うようになった。
パートナーの態度も息子の態度もムカつく。
彼らの弾む会話で、心が乱されるのも飽き飽きした。
ほとほと疲れたので、
チャレンジは、一旦、ぽいっ!っと投げ捨てることにした💖
「やってられるか!!!」と、全面放棄!
どうにでもすればぁ~、と、どうでもよくなった。
リラックスして自分を解き放て!
【図書館での英会話クラスに出てみた】
マンツーマンだから、相手の理解に応じて指導をしていく。
これが楽しい!
1時間のクラスだったので、多少疲れた。
最後の10分くらいになると、笑顔が強張る。
終了後は、目が死んでいると自覚するくらいに疲れた。
日本語についての説明がもどかしいと、思い立ち、
図書館での無料英会話クラスに出かけた。
先生は、図書館司書。
何かと気を使う私がそこにはいた。
会話を独占しないように、
他の生徒が浮かないように、
先生にほほえみ、他の生徒に微笑み、
多分、もう1人の日本人も同じように気を回していたに違いない、と思えてしまったのだが、これ
ついては事実無根。
何となく気を使っていた。
何となくだから、別に何するではなく、兎に角気を使っていた。
こうゆう意味のない気づかいは止めにしたい。
根本にあるには、『自分をよく見せたい』『自分自身が他人によくしたい』
のようなものであると思うのだが、兎に角、疲れた。
複数の人たちの中に存在した時には、
交通整理係になったような気持ちになってしまう。
日本にいるときには、
或いは、日本人だけがその場にいるときには、意図的に交通整理係にならなくて、
リラックスをしてその場の取り仕切りは、誰か他の人に任せてしまうことができるようになった
のだけど。
英会話スクールや英会話クラスという、イミテーション・ソサイエティ、
英会話が完ぺきではない、みんなが習得中!という前提の上に成り立つ、甘い空間だからだ・・・。
振り返ると、自分がシンプルではなかったことに気が付く。
自我に囚われて、複雑で姑息で空回りしていた。
そんなのは脱ぎ捨てて、シンプルに
『自分がその瞬間を目一杯楽しむ!』
で、いいんじゃなかろうか。。。と、気が付いた。
自分がしたいようにすればいい、ということだ。
他人の目や他人の存在を気にし過ぎ、その瞬間を純粋に楽しんではいなかったのではないか?
私の番は回ってこなかった。
その場で、私の夢も言わせてくれ!と言うべきであった。
話題を変えた図書館司書にも、
他者に比べて、私の口数はかなり多かったので、「仕方がないか」と、そのときの私は思った。
世の中には、こ~んな素晴らしいことをしている人もいる!
麻痺で自分の体の中に閉じ込められてしまったアーチストを
解き放ったエンジニアのスピーチをお聞きください!
<なんちゃってまま母チャレンジ!> はじめました!
っていうか、はじめました。
いい感じの間柄になりたいと思い行動続けて、早2年。
今回の共同生活開始からは、早20日間。
『最高にしあわせ~~!』
って思えるときや、思えることが、どこかに消えてしまった。
<「しゃべりまくるから、私を知って!」作戦!>
(今振り返れば、なんで、こうゆう作戦立てるかなぁ、なのだが、この作戦を立てるに至った経緯については、こちらの記事をどうぞ。)
(第1日:2019年2月4日、第2日:2019年2月5日)
常に朗らかな気持ちを維持しつつ、なるべく言葉を出した。
昨日の夕方は、彼らの反応はとても良好なものであった。
息子ともぽつりぽつりと言葉が交わせた。
そこにもってきて、私は、言葉を出しまくった。
声をかけまくった。
いつも持って行く水筒に、彼がやるように水を入れてあげた。→〇(彼に受容された)
彼の靴を、彼が靴下をはいているソファの近くに持って行ってあげた。→✖(彼は、嫌がって何か言い、戸口近くに靴を戻した)
今朝は、彼は、今まで見たこともないような不満げな感じで家を出て行った。
(1)彼に知ってもらう、(2)彼に興味を持っていることを表示、(3)関わることを実行
上記3項目を目的に実行したけれども、
寝起きでボーっとしているときに、弾丸トークは、不機嫌をあおるだけである。
静かに遠目に見守るという姿勢も混ぜながら、
相手が将来に「うれしい」「聞いておいてよかった」と思えるようなこと
を話すことができれば、最高!
でも、何を話してもいいけど、相手の状態を理解しようという気持ちが欠けるのはNG!最悪!
がさつにじゃがじゃが喋ればいいってもんじゃない!
だからといって、
他者も同じように最高に気分がいいとは限らないのだ・・・。